私は、2021年に1,500万円を超える借金を抱えて自己破産しました。
「心を入れ替える」と誓ったはずなのに、以前より少額とはいえお金を借りてしまったり、貯金ができていなかったりと、お金とちゃんと向き合う必要があると考えています。
お金と向き合うべく、人生の振り返りをしていく
自己破産によって返済に追われる生活からは解放していただきましたが、依然として、いわゆる「お金のブロックがある」状態だなと感じています。
本当の意味で、「お金と仲良くなりたい」「お金に愛される人生を送りたい」と思った時に、過去のしこりをなかったことにせず、ちゃんと癒して傷を解消したいな、と思い、幼少期からの振り返りをしたいと思います。
私の父は、日本人なら誰でも知っているであろう企業に勤めており、幼少期にお金に困ったということはありません。サラリーマン家庭なので、ぶっ飛んだお嬢様ではありませんが、傍目から見たら、「なに不自由なく育ててもらった」と言えるでしょう。
ただ、幼少期の親からの接し方が、その後の私の人格、特にお金の使い方に影響を与えたのではないかと思うところがあるので、書いていきたいと思います。
いつか書くことになると思いますが、私の人格形成には父が与えた影響も多いと思うのです。ただ、この記事で書く幼稚園〜小学校1年生くらいまでは、いつも一緒にいた人ということで、母のことがメインとなります。
最初の記憶は、幼稚園の年長
人生で初めて、「親に欲しいものを否定される」という経験をしたのは、幼稚園の年長ごろでした。
一つ目はねり消し。
幼稚園で大流行していたのですが、母親が「私は嫌いだから絶対にダメ」と言って買ってくれませんでした。(くずが出たりするのが嫌だっただけかもしれませんが…)
友達にもらったか何かでやっと手に入れたのを失くして、涙が枯れるのはこういうことか、というくらい泣いたのを覚えています。
次に、こういうサンダル。
当時、子供の間では「ガラスの靴」と呼ばれて流行っていたのですが、「そんな安っぽいサンダル履かないで」と買ってもらうことはできませんでした。
キャラクターものの洋服や持ち物も絶対に買ってくれませんでした。
ファミリアやミキハウスなど、デパートや専門店で買うような服を着ていましたし、給食袋などの持ち物入れも、そういうブランドのものでした。
母は、「きちんとした家の子として育てたい」という思いあってのことだと思いますが、キャラクターものの洋服や持ち物を見下した発言をしていました。
キャラクターの洋服を着ているような友達を「うちとはちょっと違うから」などと言っていたのもなんとなく覚えています。
(ちなみに母にもだんだん免疫がてきたのか、4歳下の妹はこういう靴やキャラクターの服もたまには買ってもらっていました。やっぱり長女はこういうところで損しちゃうのかな、ってところもあります。)
これ以外にも、いろいろ言われたと思いますし、買ってもらえなかったものはあるはずですが、母の「安っぽい」「ダサい」「嫌い」と言うような否定的な言い方がとてもバカにするような感じで、私の小さな心に棘として刺さり、「好き!」を閉じ込めてしまった気がします。
(「お菓子は1個にしなさい」「野菜を食べなさい」「早くしなさい」というような声かけとはまた違うんですよね…)
「大好きなママに嫌われたくない」という気持ちで、自分の好きなもの、欲しいものを素直に言えなくなり、母が好きそうなものを選ぶようになっていきました。
小学校に入ると、人のものを盗るようになった
小学校に入ると、「親が買ってくれなくても欲しい」という感情が芽生えます。
1年生のうちは、流石にまだお金を盗ったり借りたりすることはしませんが、「盗む」という知恵が働くようになってしまいました。
まず最初は、友達の家のキッチンにあったガムでした。
我が家ではガムが禁止されていたのですが、小学校1年生の時、友達の家に遊びに行った時におやつで出てきて大喜び。
アレルギーとかではないので、友達の家で出てきた時に食べることは母もOKしてくれていたのですが、はじめて食べる憧れのガム。出てきた分だけで止めることができませんでした。
箱のストックか何かがキッチンに置いてあるのを見つけてしまい、黙って食べました。
それも止まらなくなって何度も…
その場では気付かれていなかったのか何も言われませんでしたし、その後、すぐに転校してしまったので何もなく終わりましたが、「悪いことをした」というシコリがその後もずっと残っていて、今でも覚えています。
次に、ミサンガ事件がありました。
夏休みにYMCAか何かでキャンプに行ったのですが、そこで、同じ参加者(特に友達とかではなかったと思う)がつけているのを見つけ、「糸が自然に切れたときに願い事が叶う」って小学生女子が飛びつきそうな(?)世界観に惹かれ、どうしても欲しくなってしまいました。
普通だったら帰宅後に親に話して買って(作って)もらうということを考えると思うのですが、「ママは絶対にダメって言うだろう」と考え、寝ている間に取ってしまおうとしたのです。
ただ、そこは小学1年生。動きが怪しかったのでしょう…
上級生のお姉さんと、インストラクターさんに見つかってしまい、「見ていただけだよ」と言ってその場を逃れましたが、ばれていたと思います。
ちなみに、未遂とはいえ、外で泥棒のような目で見られる気まずさを味わい、怖くなったのか、その後の学校生活で、「友達のものを盗む」ということはしていませんのでご安心ください。
でも、30年近く経ってもこうやってその場面を明確に覚えているほど、罪悪感を持っているのです。
私が好きなものを否定しないで欲しかった
家庭ごとに教育方針やルールがありますし、もちろん、私の友達がいつでも何でも欲しいものを買い与えられていたということではなかったと思います。
私はただただ、「欲しい」と言ったものをバカにしたり、剣もほろろに否定されたことで、傷つき、自分の好きなものや、希望を親に伝えることがためらわれるようになってしまったのです。
(この記事だけで伝わらないかもしれませんが、我が家が無条件に厳しい家庭というわけでもなく、親が認めたものはすぐに買ってもらえました。例えば携帯とかは、同級生の中でも持つのが早かったです。)
最近、何かの本で、「子供が何かを欲しいと言った時には、なぜそれが欲しいのか、なぜ必要なのか、それを手に入れると自分にとっても家族にとってもどんな良いことがあるのか」と言うのを読んだことがあるのですが、素晴らしい教育だなと思いました。幼少期からそういった教育を受けていれば、こうやって道を踏み外すこともなく、それどころか、将来役立つでしょうね。
時代もあり、我が家の昭和な両親にプレゼン教育をするということは難しかったかもしれませんが、私が興味を持った物に対して、頭ごなしに否定したり、バカにするような態度を取らないで欲しかったな、と思います。そして、もっと話を聞いてほしかったということに尽きます。
まだ別の記事でも出てくると思いますが、我が家は、買ってもらえないものに限らず、見てはいけないテレビ、してはいけないことなど「禁止事項」が多かったんですよね。
それも、話し合う等ではなく、親の価値観、それどころか時には気分によって、権力で「ダメ」と言われている感じでした。
危険なものや、非行につながるようなものでない限りは、ルールを守ることや、欲しいものであれば「コツコツお小遣いを貯めて買うこと」「お手伝いをして対価を得ること」などを教えて欲しかったです。
今思うと、幼少期からのこういう体験の積み重ねで、「私の好きなもの、欲しいものは否定される」「私の話は聞いてもらえない」「お願いしても、叶わない」という刷り込みが入ってしまったような気がします。
また、「私は”その辺の子供”とは違うんだ」みたいな、歪んだ優劣意識も植え付けられていった気がします。
「必要なものはちゃんと買い与えている」という教育方針のもと、「親に欲しいものを伝えても相手にしてもらえない」「お小遣いももらっておらず、自分の好きなものを買う自由が全くない」という状態になった小学生の私が、その後、どうなるか引き続き綴っていきます。